「大漁唄い込み」を全国に広めた我妻桃也さんの命日にあたりますので、我妻さを偲んでお送りします。

(ティチク制作LPレコード・我妻桃也・ドヤ節のジャケット。ドヤ節など14曲収録)
民謡歌手我妻桃也さんは、昭和28年NHKのど自慢コンクールで「大漁唄い込み」を唄い日本一に。
その我妻さんが、昭和55年6月、「日本民謡大賞宮城県大会」に出場したいという電話が私に入った。
我妻さんは、「NHKで日本一を取った時、当時最高の大会だったが「日本民謡大賞」現在日本民謡界で
最高の権威ある大会と思う。自分の民謡生命をかけて唄ってみたい」という固い決意であった。
宮城県大会は予想通り優勝したものの、いつもの迫力は感じられない。やはりプレッシャーがあった
のかもしれない。
昭和55年10月3日、全国大会に臨んだ我妻さん。47都道府県の代表が始まった。東日本ブロック6番
目、眼の不自由な我妻さんは、お弟子さんに支えられステージに。お弟子さん14人の掛声バックに、
無伴奏でドヤ節を力強く唄いあげた。
翌日夜、東西の代表5人の発表である。
東日本代表5人の発表、4人までには入っていない。
ダメかと思った時「もう一人、宮城県代表我妻桃也さん」司会の高島忠夫さんが紹介。
会場からは盛んな拍手、我妻さんも思わず両手をあげ大喜び、何とも言えない感動のシーンであ
った。東日本ブロックの決勝大会、日本武道館のすごい熱気の中に再び迫力ある素晴らしい「ドヤ
節」が流れた。
結果は優勝を逸したものの、昭和28年「大漁唄い込み」がラジオの電波を通して全国に流れた時と同
様、今度はNTV系列のテレビの画面を通して多くの人達に、大きな感動を与えた。
生涯民謡の心を力いっぱい唄い続けた我妻桃也さん、平成21年3月1日他界、93歳でした。
3月1日は、写真のLPレコード「我妻桃也・ドヤ節」を使って大漁唄い込み、ドヤ節などを
お送りします。我妻さん64歳の時の音源です。サイマルラジオで聞いて下さい。