今週1曲目は
M:ナット節 安藤兆華 3分08秒
前CM
1曲目にお送りした、安藤兆華さんのナット節です。ナット節の始まりは、北海道で明治の開拓が盛んに行われていた頃、本州からの労働者が持ち込み酒の席の騒ぎ唄で様々な歌詞を曲にあてはめて唄っていました。この唄が北海道の漁業が盛んな函館、釧路、樺太方面にも飛び火して、缶詰工場で働く女工さん達が唄い出し、ナット節、女工節となって流行した。「ナットナット」の囃子言葉から「ナット節」と呼ばれるようになった。今でも道南地方で盆踊り歌として唄われている。唄っている安藤兆華さんは、3歳で南町通りの劇場仙台座で初舞台を踏み、その後詩吟、舞踊を勉強します。戦時中は宮城県より現在の中国大陸の中部地方や華北に慰問団員として派遣された経歴も持っている。昭和28年に松元木兆さんが主宰する木兆会に入会。30年4月に兆華の雅号を受け、昭和35年独立し、民謡若葉会を結成。この間ヨーロッパ各国を視察し親善の役を果たす。今日のゲストは、安藤兆華さんの娘さん、安藤とし子さんです。
ゲストの唄、 石巻港節。
M:石巻港節
(安藤とし子さん、瑞穂あけみさん)
PART2
お送りしたのは、今日のゲスト安藤とし子さんの「石巻港節」でした。
安藤さんようこそ・・・。
ゲスト:プロフィール紹介
・昭和35年頃からお母さん会主の民謡若葉会の「若葉少年民謡会」として各方面の舞台で活躍。
・昭和48年ビクターレコードより初めてレコードを出す。
・昭和52年日本コロムビアの専属となり仙台市の姉妹都市アメリカのリバーサイド訪問、出演、
・53年には仙台市の姉妹都市フランスのレンヌを訪問、出演。
・昭和58年電力ホールで安藤とし子リサイタルを開催。
・平成24年民謡若葉会51回目の発表会を開催、現在会員の育成にあたっている。
ゲスト・母の安藤兆華について
・民謡若葉会は仙台でも歴史のある民謡会、発足した昭和30年代から40年代にかけて1000人を超える会員がいました。民謡ブームだった?
・母の代と比較して様変わりしたのでは?
CMの後又お話を伺います。
CM:
PART3
ゲスト:・民謡を歌ってきて良かったこと。
・母の兆華さんは、戦時中現在の中国大陸の中部地方や華北に慰問団として派遣されたほか、昭和43年ヨーロッパ各国を視察し親善の役を果たす、安藤とし子さんも海外公演の経歴を持つ、海外で日本民謡を唄った感想を。
・母のあとを継いで二代目を名乗らないのは?
・今後どのように民謡を伝え、後輩の育成にあたるか?
では最後にもう1曲「酒田甚句」を・・・
安藤さん今朝はありがとうございます。
M酒田甚句
PART4
FM仙台制作「Mine&Yours〜民謡めぐり〜」そろそろお開きの時間です。
今日は母の後を継いで民謡若葉会会主として、後進の育成にあたっている安藤とし子さんにお話を聞きながら民謡を紹介しました。
この番組では現在第一線で活躍している民謡歌手、かつて活躍した歌手の唄、演奏家、民謡歌手を目指している若い人たちを紹介します。さらに民謡の背景なども分かりやすく紹介します。
来週も、アシスタント瑞穂あけみさんと共に、「さいたら節」についてお送りします。
ご案内役は沖津省己とアシスタント瑞穂あけみでした。
それではまた来週!!